地理教育部会 2010年度 4月例会

日 時: 2010年4月10日(土) 

場 所: 大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館 5階 520教室

参加者
正木 久仁(大阪教育大学)      磯  高材(元大阪市公立学校長)
奥舍 憲雄(金蘭千里中・高等学校)  吉水 裕也(兵庫教育大学)
奈良 芳信(金蘭千里中・高等学校)  以上5名
(他に本学・他大学教官、院生、学生、研究者)


 「人文地理学会第100回地理思想研究部会(共催大阪教育大学地理学会)に參加」  
◎木岡 伸夫(関西大学) : 〈問い〉としての地理哲学―風土学の定礎に向けて―

木岡教授は「地理哲学」について、政治哲学・経済哲学のように広く一般に使われていない現状から、
地理学者・哲学者に問いかける理論構成を考えられている。そこで、
 @地理哲学とは何か──〈意味〉への問い
 A地理哲学は存在したか──〈事実〉への問い
 B地理哲学はいかにあるべきか──〈価値〉への問い
を設定し、歴史的過程を含め、論理をくわしく説明された。(以下項目(1〜3)のみ記載)

1 地理哲学とは何か
    地理学者への問い、哲学者への問い、協働としての地理哲学
2 地理哲学は存在したか──古代から現代まで
    古代地理学、近代地理学、現代の地理学、古代的思考の復活
3 地理哲学はいかにあるべきか──風土学の構築へ
人間存在の空間構造、風土──閉じた世界、人間存在の通態性、尺度の論理、〈風土の論理〉とは何か、空間の論理へ

おわりに──〈問い〉の原点に立ち返って(以下レジメから引用)
 世界が出会いの場であることを風土が保証する以上、風土なくして人は生きられない。ところが存在の同一性・普遍性を追求する哲学は、風土の多様性を無視しつづけてきた。真の多様性である〈形〉、一般的なものの事例ではない〈特殊〉の存在を、いかに説明するかが哲学には間われている。これに対して地理学は、元来地域の空間的多元性を重視してきた。その地理学の場合には、〈特殊〉を〈普遍〉へといかに媒介するかが間われている。二つの学問にとっては、乖離と接近の可能性が共在する。

 統合の困難さを、過去における「地理哲学」の不毛が物語る。それぞれが、哲学ではない地理学、地理学ではない哲学、の位相にとどまるかぎり、ただ偶然的な接触以外にはありえない。哲学でも地理学でもない、その〈あいだ〉に立つことは可能だろうか。そのためには、現在その名で呼ばれている学問を何らかの仕方で克服することが、不可欠の条件である。私の場合、既存の哲学を否定する一種の「非哲学」ないし「反哲学」を実践することなくして、地理哲学を考えることはできない。その前途は芯として見えないままだが。





 資料提供
木岡 伸夫 発表要項
研究小論文冊子 7
磯  高材 「稲むらの火」と史蹟広村堤防
  西太平洋地震・津波防災シンポジウム(事務局:気象庁)資料(濱口梧陵記念館)
「稲むらの火」
  『小學國語讀本 巻十(尋常科用、文部省)』の復刻抜刷(濱口梧陵記念館)
「東南海・南海地震による被害予測とその対策について」(A4判9枚)
  2003年2月10日 河田教授講演録(「安震だより」vol.9、vol.10より)
  ※河田教授=京都大学防災研究所巨大災害センター長・教授 河田 惠昭
   「安震だより」:大阪建築物震災対策推進協議会 発行・編集
「南海・東南海地震時の揺れの予測─内陸直下地震と違った揺れに対する備え─」
  京都大学助教授 工学博士 釜江 克宏(A4判3枚、「安震だより」vol.11より)
「A LIVING GOD BY LAFCADIO HEARN」(B5判10枚)
「A LIVING GOD 〔生ける神〕 ア山 美佐子訳」(B5判10枚)
奈良 芳信 『月刊島民 中之島 20号』(月刊島民プレス、2010.03.01)
『月刊島民 中之島 21号』(月刊島民プレス、2010.04.01)


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