地理教育部会 2014年度 10月例会

日 時: 2014年10月18日(土) 

場 所: 大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館 514教室

参加者
正木 久仁(大阪教育大学) 磯  高材(元大阪市公立学校長) 
中川 昭男(興国高校)  奥舍 憲雄(金蘭千里中・高等学校)  奥野 一生(清水谷高等学校)
岡森 啓(清風南海中・高等学校) 射手矢 武(清風南海中・高等学校)  冨田 健太郎(清風南海中・高等学校)



 「百瀬川扇状地の現状とその周辺」 射手矢 武
 生徒を引率して2回野外巡検を行い、また、その下見も数回行った。新保集落の区長や、旧マキノ町長への聞き取りなどもおこなった。

百瀬川の地形図において中流部にある荒れ地は遊水池、沈砂地として利用されているが、人工ではなく、氾濫によってできた遊水帯である。
百瀬川が増水したときは今でも水がたまるようになっている。また、増水時に遊水池から生来川へ水が流れるように導水路が建設・完成しているが、遊水池の地権者の合意がまとまっていないため、利用されていない。


地形図には現れない、副堤がある。新保集落から百瀬川へ向かうところにある。
この副堤は江戸時代に作られたと思われる。百瀬川が氾濫するところは現在の三角点のあるあたりで、
大雨の時は当番制で、そのあたりの堤防が決壊しないかを見張っていた。
また、この副堤は洪水を防止するというよりは、氾濫した水が集落へ直接流れないようにするためのもので、
氾濫の水の流路を変更させるもの。
氾濫した水は集落より北側へ流れ、かつては空き地であったところに流れていく。現在は住宅開発がなされており、仮に、百瀬川が決壊したときは、その住宅地は浸水する可能性がある。

百瀬川の扇頂より上流にいくと、土砂崩れや岩崩れの場所が多い。これらが土石流や扇状地をつくる礫となる。

百瀬川は石田川の河川争奪によって源流がかわった。河川争奪の原因は石田川の土砂崩れ。
上流の百瀬川が屈曲しているところが争奪のあったところ。そのあたりにはキャンプ場がある。


百瀬川トンネルは大正から昭和初期にできた。トンネルにしたのはバスを通すためかもしれない。

ちなみに天井川は西日本中心で、山梨県が東端。

野外調査の時に、現地の人の話が聞ける方がよかった。
今回は、下見などで新保集落の人から様々な話を聞き、案内もしてもらった。
また、百瀬川の氾濫の歴史や副堤などの施設を整理した書物がない。昔を知る人が少なくなっていく中、
百瀬川の歴史、研究を書物に残す必要があるのではないだろうかと、集落の人は考えていた。

 資料提供
磯 高材 「紀伊国かせだ荘絵図」「和泉国日根野村絵図」
冨田 健太郎 「再生可能エネルギー利用、日本は後進国」2014.10.13(月)日経


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